【オーヴァーザレインボーのインパクト】

たった2音で「あ、あの曲だ!」

先日、この曲のレッスンをしたとき、つくづくこの曲を作ったハロルド・アーレンは凄いなぁ!と思いました。

 

メロディーの出だし”Some”と”where”、1つの単語でありながら2つの音節を持つ、この言葉についた1オクターブも離れたメロディー。歌い出しのたった数秒で誰もがこの曲だと分かるのですから! (そうなると、クリスタルキングの『大都会』も凄いということになりますが)

 

歌い出しの”Somewhere over the rainbow way up high."は、一気に4小節を費やすほど雄大で長いフレーズというだけでなく、しょっぱなから攻めてる超派手なフレーズです(最初に盛り上がりが来るところは、のど自慢大会の勝負曲などに最適!)。

 

気持ち的にはノンブレスで一気に歌い上げたいところではありますが、バラードなどのスローテンポで生徒さん達が歌う場合は大抵、タイトル名でもある”Over the rainbow"の直後にブレスを取った方が無難です。日本語の句読点を入れるとしたら、”Somewhere over the rainbowway up high"といったところでしょうか。

 

しかしそのフレーズの中でも一番聴く人の感動を呼ぶ箇所は、やはり最初の”Some-where”の部分なのだと思います。この部分が一番耳に残るはずです。 しかし、それを表現する歌い手としては、低音で始まる"Some"という地盤がしっかりできていないと、余裕をもって1オクターブ上の”where"に飛躍することはできないどころか、この曲のストーリーの始まりをドラマチックに表現しきれず不発な状態で情けないスタートを切ってしまうことになる、というシビアさも含まれています。

 

"Some"があるから"where"が引き立ちます。なのでフレーズ中で一番煌びやかな"where"を歌うことばかりを気にして、”Some”をただ"where"に到るためのおまけの音だとないがしろにしてはならないのですね。

 

私がこの曲を歌う場合は”Some”をしっかり味わってから”where"を歌います。その瞬間は、この2つの音をどのくらいの配分にするかなどは一切考えません。フレーズ全体が最初の4小節の中に何となく納まってればいいや、と思いながら歌っています。

 

そして”Somewhere”以降は、この2音で作られたインパクト十分なメロディーの煽りを喰って、フレーズの終盤は時間の経過とともに自然に減衰し落ち着いていきます。なので中盤の歌詞"Over the rainbow"や、地味な盛り上がりのある”way up high” を妙に奮起して歌ってしまうと、フレーズの中のどの部分が印象的なのかがわからなくなってしまい、派手なはずのフレーズのインパクトを薄れさせてしまいます。

 

従ってこの先は"Somewhere"の勢いの余力のパワーとテンションで歌うと良いのではないか?と考えます(つまり緩急の話なのですが、言葉だけで説明するのは大変ですねぇ)。

 

無理矢理例えるとしたら、Somewhereが富士山だったら、way up highは郷土富士(きょうどふじ、各地にある富士山に似た山、尾張だったら尾張富士)のようなものだととらえるのも良いかもしれません(笑)

 

「オーヴァーザレインボーってジャズの曲ですか?」

話は変わりますが、ジャズボーカルを教えて間もない頃、生徒に『オーバーザレインボウ』ってジャズの曲ですか?と訊かれて、答えに窮したことがありました。

 

この曲は、もともと1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』の挿入歌でした。この時点では、まだポップチャートを賑わす流行歌(ポピュラーミュージック)でした。しかし、この曲を聴いたジャズミュージシャン達がジャズとして演奏したら面白そうだ、つまりジャズ的な要素を取り入れてこの曲はアドリブできそうだ、と感づいたのです。

 

そしたら他のミュージシャンも(ジャズ的なアプローチで)「俺も演る」ジャズシンガー達も「私も歌う」となり、ジャズスタンダードの仲間入りを果たしたのですね。

 

正確には映画『オズの魔法使い』封切りと同年1939年に、ジャズバンドとしてポップチャートで1位を獲得したのはグレン・ミラー・オーケストラだと言われていますが、その後、バド・パウエル、デイブ・ブルーベック、アート・テイタムなどジャズピアニスト達がこぞってレコーディングしました。

 

ご参考までに、下記の動画は映画のワンシーンなので、ジャズになる前の原曲の状態です。従って主演のドロシー役、ジュディガーランドはジャズとして歌っていないということになります。

 

ちなみに英語版のウィキペディアによれば、ジュディ・ガーランドは自分のシグネチャー・ソングとして、映画の封切り(1939年)から1969年に没するまでの30年間、この曲を映画の中でドロシーとして歌った時と寸分たがわぬようにを心がけて歌っていたそうです。 

 

ジャズ(ヴォーカル)をお勉強している方はそのあたりを注意しながら原曲を聴いてみてくださいね。