ジャズは敗者達の音楽である?

For Losers Only

こんな見出しは賛否両論かもしれませんが、ジャズの歴史を調べたり、この世界を見てきて思うのは、一般の方から他のポピュラー音楽ジャンルとの根本的な違いを尋ねられた時、この方向からの説明も必要なのではないか?と思う時があるのです。

 

ジャズは、ロックやポップスと違って、『内に向かう』とてもパーソナル重視なジャンルだと思っています。またマーケットも小さく、CDアルバムがEXI○Eみたいに何度もミリオンセラーに輝くこともまずないのです、言い切ったらあかんけど(泣)。

 

なので、同じ音楽業界の中にあっても、売上げが全て!ドームツアーで日本中を回る!関連グッズを売りさばく!といった『外へ拡がる』世界とは一線を画している、と思って良いと思います。

 

しかし、自分独自の世界観を大事にしたいがために売れ線を自ら否定することは、世間一般的に見れば『敗者』と映ることは否定できません。(ウチの主人でもN大経済学部まで出たのにジャズミュージシャンになってしまい、保守的なご近所からは「なんで○海銀行(当時)とか○村証券に就職しなかったのか」と思われていたようです、話がローカルですみません。)

 

しかし!気が付いてみると、こんな『敗者』に共感してくれる人がゴマンといるはずなのです。なぜなら世の中は『敗者だらけ』なのですから。一度も敗北感や挫折感を味わったことがない人など、まずいないでしょう。

 

ジャズはどれだけハッピーに聴こえるものであっても、敗北感や挫折感、時には社会に対する悲しい怒り(これらがないとただの無害で耳心地だけが良い音楽になってしまいます!)が根底にあり、また時には敗者をやさしく迎えてくれる音楽なのではないかと思うのです(お酒とともに…)。

 

勝つ歌(演奏)、負ける歌(演奏)

例えば、チェット・ベイカーの演奏を聴いていて感じるのは、やっぱり負け犬系(笑)。でも「敗者の美学」みたいなものを思わせてくれるし、チャールズ・ミンガスの音楽は、アメリカにおける当時の社会的な敗者、すなわち黒人達の怒りを表現しているように聴こえます。そしてルイ・アームストロングの演奏は、どれほど明るい音楽を演っていてもトランペットが泣いているように聴こえます。

 

一方で、ビヨンセやマライアなど、今を時めくアーティストの歌を思い出してください。彼女達は歌を歌っている間はずっと、そして誰よりも、どんな手を使っても『勝ち続けなければならない』のです。

 

でもその一方でジャズは自己を探求する音楽ですから、今までもそこまで勝ちにこだわる必要はなかったし、これからもジャズである限り、基本的にはその必要はないのではないかと思うのです。

 

(勝ちにこだわるのであれば別ジャンルの大きなマーケットに鞍替えすればいいですし、実際ジャズ出身の若いミュージシャンはポップス界でもてはやされていますね)

 

また、何よりも『敗者』でいることのこのぬる〜い心地よさ。この『良いか悪いかって言ったら決して良くないんだけど、特に急いで抜け出さなきゃならない理由はどこにもないしぃ…』という春先のコタツのようなグダグダムードを何となく許してくれそうなところがこれまた良いのですね(笑)。

 

そんな敗者達にやさしく語り掛けるような曲をご紹介します。 エセル・エニスが歌う『ララバイ・フォー・ルーザーズ(敗者たちのララバイ)』、私のお気に入りの曲の一つです。

 

鈴木智香子 拝