【ジャズボーカルちょっとトーク】『労少なくして、最良のパフォーマンスを』 ジャズボーカルの歌い方

ジャズミュージシャンはいつも皆疲れてた(ブルースシンガーはもっと疲れてた)

昔のジャズミュージシャンの仕事、といえば『全米をドサ廻り』して演奏することでした。ニューヨークやシカゴなどの主に都心部、または自分の居住地で固定した仕事が長期間入れば万々歳ですが、大抵はアメリカのどこか田舎町や、ちょっと有名になったらなったで、大西洋を渡りヨーロッパ各地をツアーして回ることだってあったのです。

 

(昔のジャズミュージシャンのスナップ写真を見ていると、何気に空港などの旅先で傍らにスーツケースが写っていたりすることが結構ありますね。)

 

ですから、演奏を生業にするということは、ドサ廻りの旅をすることと抱き合わせだったのです。現代日本でいえば、全国の演芸場や健康ランドなどを廻る旅役者、大衆演劇の劇団が、そのイメージを残しています。

バスに揺られて全米行脚

特にアメリカ国内をツアーして回る場合は、移動手段は飛行機などではなく、大抵が大荷物を抱えての大型バスでの移動となります。昔の道路は特に田舎の街になるとアスファルトで舗装されているところは絶望的に少なく、昔のバスはよく揺れるし、長時間座るシートの座り心地など今とは比べ物にならないくらいひどいものだったと思います。 それに耐えながらもやっと目的地のダンスホールやホテルに到着し、夜はステージをこなし、契約によっては数日間滞在することもあるが、またバスに揺られて次の目的地へ向かうのです。

 

そういうわけで、ジャズミュージシャンは過酷な労働条件のもと、毎日疲れていました。そうなると、元気一杯な、毎日完全燃焼な演奏はまず身体が持たなくて無理です。しかし、それでも仕事はこなさなければならない、また再びその場所に呼んでもらえるために、演奏を成立させなければならない…そこで、省エネ奏法、歌唱法が自然に身につくことになります。

過酷な状況から生まれた演奏法、唱法

『労少なくして、最良の結果を』というのが、長年のドサ廻り生活で得る知恵だったと思います。

ジャズミュージシャン達の、ホットでクールでリラックスした、という一見矛盾しているものの、確かに成立しているその演奏スタイルは、こういった環境の中にいたから、というのもまた一因ではないかと思われるのです。

 

そう考えると、綿花を摘む仕事に疲れた黒人奴隷達によってブルースのあの独特なスタイルが作り出されたのも、意味が分かる気がします。あのダルでブルージーな演奏や歌のスタイルは、元をただせば重労働に疲れていたからこそ出てきたものなのではないかと思うのです。 どうやら、ジャズもブルースも、明るい陽光のもと、スタミナ満点で元気よく歌う、というスタンスではなさそうですね。

 

今では、スターアーティストたちが自家用ジェットでツアーに出るようになり、シナトラやセリーヌディオンのような大スターは、ドサ廻りを嫌がってラスベガスに『マイ劇場』を作り、観客の集まるところに出向かなくても、観客自らがそこに足を運んでショーを見に来る時代になりました。しかし、現代でも相変わらずジャズミュージシャン達は、求められれば(そして契約条件に合えば)どこへでも演奏に出向いていきます。

 

体力的なタフさというよりも、順応力が求められているようですね(笑)