【ジャズボーカルちょっとトーク】クルーナー歌手といわれた歌手達について検証してみました。

こんにちは。鈴木サキソフォンスクール ジャズ、ボサノバボーカル講師 鈴木智香子です。先日、ラジオのジャズ番組にて『クルーナー歌手』と呼ばれる歌手達についてのお話と、代表曲をご紹介させていただく機会に恵まれました。その際に、いろいろお話の背景として独自で調べてみたことなどを、この場でご紹介したいと思います。大学のレポートみたいにそっけなくてちょっと長いですが、ジャズボーカルを学んでいる皆さんお役に立てたらとても嬉しいです。何事もオリジンを知るというのはとても大事なことですよね。

 

クルーナー歌手とは

クルーン(Croon)の意味、『低い声で、そっとつぶやく』。語源は中世英語の「牛の鳴き声」。 転じて、『ソフトに優しく語り掛けるような歌のスタイルで歌う歌手』を指すようになる。 クルーナーの起源は、一説によるとイタリアのオペラ歌手がオーケストラをバックに歌っているものに、ジャズやブルースの語り口が加わったものらしい。なぜか女性歌手には殆ど使われない(しかし、ビリー・ホリデイやペギー・リーはクルーナ―歌手ではないかと私自身は思う)。 1920年代半ばあたりから1950年代の終わり(エルビス・プレスリーなどのロックンロールが台頭してくるまで)このクルーナースタイルの歌唱法やその歌手達が歌う曲は、ポピュラーミュージックシーンの主流であった。

クルーナーとして歌う歌手が出てくる前のポピュラー歌手は主に劇場向けの歌手だった

クルーナー歌手が出現する1920年代半ばまで、オペラ唱法(ベルカント唱法)でダイナミックに歌うポピュラー歌手が主流だった。 特徴は、劇場に適した、マイクなしでも劇場の後ろまで届く豊かな声量と多少大げさな表現。 

アル・ジョルスンが歌う『スワニー』、アル・ジョルスンは、ユダヤ系アメリカ人のミュージカル歌手、コメディアン。

トーキー映画の第一号『ジャズ・シンガー(1927)』で、顔を黒く塗ってジャズを歌った姿が有名。

クルーナー歌手の出現のきっかけとなった社会的背景

① ラジオ放送の始まり(アメリカでは商業放送は1920年から)

② レコーディング技術やレコード品質の向上(電気録音が普及。電気録音とは、歌声や演奏の音声をマイクに通して電気信号に変換して録音する方法。それまでは蓄音機のラッパの前で音の振動をレコード原盤に刻み込む方式が用いられていた)

 

マイクロフォンやアンプのお蔭で、ラジオ番組で演奏し、レコードをたくさん作って売ることができるようになり、クルーナー歌手達は多くのリスナーを獲得することになった。(従来は、劇場まで足を運ばなければ音楽を聴くことができなかった)

  

更に、マイクロフォンの性能がしだいに向上していったお蔭で、オペラ唱法の歌手以外の歌手の活躍の幅が広がった。オペラのようにダイナミックに声をとどろかすだけでなく、都会的で洗練された、そしてまるで自分の傍らにいて歌ってくれているかのような親密でこまやかな表現ができる、つまりマイクを巧みに扱える歌手の人気が出てきた。つまり、『劇場向け歌手から、ラジオ向け、マイクに向いた歌手へ』と変遷していった。

 

しかし、一般的に言われている『声量の小さい歌手も歌手になれるようになった』というのは、ちょっと怪しいと思う。

クルーナーの走りとなった歌手

ジーン・オースティン『マイ・ブルー・ヘブン(1928)』

クルーナーの父といわれている。エノケンは日本で最初のクルーナーだったのかもしれない。

ルディ・ヴァリー『I'm just a vagagbond lover』もともとはテナーサックス奏者(たまたまバンドの中で歌ってみたら歌がカッコよかった)。

メガホンを持って歌っていたことで有名。 


ルディ・ヴァリーの歌声は、テナーサックスやトロンボーンのように、柔らかい低音が目立つ。後のビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ペリー・コモらに『そうか、楽器の音みたいに発声すればいいんだ!』と、ヒント&影響を与えた。

クルーナー歌手の紹介

正確にはクルーナー唱法(スタイル)でも歌える歌手を指す。もちろんクルーナー唱法の真骨頂といえる、スローなバラードを歌うのも得意だが、スインギーなジャズも歌えるし、中には楽器を演奏し、スキャットする人もいる。声量の大小は関係ないと思う。 

ビング・クロスビー『Wishing on the star』

クルーナーを説明するのに一番分かり易い歌手。滑らかな歌声。

トニー・ベネット『Because of You(1951)』声はマイクなしでも歌えるくらい大きい。近年レディー・ガガと共演したことでも有名。


ビリー・エクスタイン 『Everything I have is yours』黒人のクルーナー歌手。ビッグバンドのリーダーであり、楽器も演奏した。サラ・ヴォーンの兄貴分。サラはこの人の歌い方を大いに参考にした。声量は大きい方だと思う。

メル・トーメ『Moonlight in Vermont』”The Velvet Fog(ベルベットの霧)”といわれたスムースな歌声。楽器の演奏から作詞作曲アレンジもこなすマルチプレイヤー。『The Christmas Song』の作曲者。


ボビー・ダーリン

『Beyond the Sea(1959)』ロックンロール世代の歌手だが、ジャズに転向。ポスト・シナトラと呼ばれた。

ディーン・マーティン

『Everybody Loves Somebody』

 


フランク・シナトラ『Put your dream away (夢をふりすて1945年)』シナトラが自分のショーで必ず最後に歌う『お別れソング』 生涯に3度録音。これはシナトラの若い頃の1度目の録音。クルーナースタイルで歌っている。


他にも、ナット・キング・コール、ペリー・コモなど。

 

このように当時の典型的なクルーナー歌手の歌声を聴いてみると、何となくクルーナーといわれた歌手達の共通した特徴が見えてくると思う。

ブームが去った後のクルーナー

この後、時代の流れに伴いクルーナーはどう発展していったか?…意外な方向へ!

 

50年代の終わりにロックンロールに席巻されてから、クルーナー歌手達の人気は凋落に向かう。 ナツメロとして定着した歌手や曲もあるが、何と一部はカントリーと結びついたものもある!そのきっかけとなったのが、ビング・クロスビーがカントリー曲をカヴァーしてミリオン・ヒットとなった『サン・アントニオ・ローズ』。それに追随して、トニー・ベネットやペリー・コモなどもカントリーソングのカヴァーを歌い、ヒットとなった。

ビング・クロスビー『サン・アントニオ・ローズ』

 

トニー・ベネット『コールド・コールド・ハート』

カントリー歌手ハンク・ジョーンズのカヴァー。


現代のクルーナー歌手

今の時代でもクルーナーに分類される歌手は存在する。当時よりも広い定義で、どうやら『センチメンタルにエモーショナルに』歌う歌手をさすようになったらしい。英語版ウィキペディアによると、マイケル・ブーブレ、ハリー・コニックJr.などは頷けるが、しかしトム・ジョーンズやクリストファー・クロスまでもクルーナー歌手と分類されている!

 

分かりやすい例として、 ♪ボビー・コールドウェル『スタック・オン・ユー(1995)』を上げてみる。

【結 論】マイクに鍛えられ、育てられた歌手=クルーナー歌手

とはいえ、ここからは、私のような演奏者の視点での推測となりますが、当時の音響環境を考慮してみると、性能は向上したとはいえ、品質は現代のような高性能マイクにはまだ程遠いわけで(パーソナルコンピュータの発展を思い出してほしい)、マイクに声を通した時の許容幅はまだまだ狭く、歌手達はマイクの音が割れないように、しかしバンドの楽器の演奏に負けない存在感のある歌、という一見矛盾するが、機器の限界という理由で、そんな歌を歌うことが要求された。

当時のマイクの許容幅以内で歌声に最大の魅力を出すためには、マイクを巧みに離したり近づけたりしながら、ソフトに優しく歌う、つまりみんな同じような歌い方になってしまうしかない。そういう歌い方をする歌手を当時の人はまとめてクルーナー歌手と呼んだのではないだろうか。

(少し話はずれるが、そう考えると、昔の歌手の歌がなぜ巧いのかが分かってくる。性能がイマイチだったマイクの時代から歌っている歌手は、マイクの性能の向上とともに自分の経験値を高めていき、そして本当にマイクが高性能になったときに、他の追随を許さない程の腕前になっていったと推察される。それは現代の、既に成熟したマイクの性能に最初から頼っている歌手達の歌とは、やはりどこか違うのである。)

 

 

2016年2月12日 記す